A BRIEF HISTORY OF DWD.
04/05
Dinasaurs Will Die snowboardsというアイデアが生まれたのは2004年の秋。ジェフもショーンもまだほかのブランドのボードに乗っていた。歴史あるそれぞれのブランドを二人とも気に入っており、ずっと乗り続けるつもりでいたのだが、幸いにもその希望は絶たれ、DWDというブランドが生まれるきっかけとなる。
05/06
最初のボードが南カリフォルニアで生産された年で、生産されたボードの数は一種類。OGボードとしてサイズは4つ。いまでもたまに見かけるボードだ。チームには、ジェフ・キーナン(Jeff Keenan)、ショーン・ジェノベーゼ(Sean Genovese)、ガス・エングル(Gus Engle)が所属。
06/07
二年目には2つのモデルを発表。FUCK FUNと、スキー場からほどなく禁止されることになったLiberty Mountain。
07/08
3年目には3モデルを発売。また、初のプロモデル、GenoveseとKeenanもリリース。アンドリュー・ジーヴェス(Andrew Geeves)が新たにチームに加わり、ガス・エングルは別のスポンサーに移籍。アラスカ出身のキッド、クリス・ラーソン(Chris Larson)にショートサイズのボードを生産しはじめた年である。
08/09
4年目は3年目と同じ、3つのモデルと3人のチームライダ-で構成。
シーズン途中で、アンドリュー・ジーヴェスを失う事になったが、“キッド”クリス・ラーソンが新しくDWDファミリーに加わった。
09/10
BIG MOVE!
冬のまっただ中、生産拠点を南カリフォルニアからオーストリアに引っ越した年。これはDWDが誇るクオリティの節目となる移動だった。DWDのクオリティの高さは、つねにさまざまな工場を視野にいれることから生まれる。159cm以上のボードの生産はこの年が最後になる。この年、アラスカ、アンカレッジ出身のブレンドン・ハップ(Brendon Hupp)がスノーボードを壊しては保証を要求してきたことで、ジェフとショーンにマークされるようになる。
10/11
あらたな出発の年。エランファクトリーでのサンプル作製および生産の最初の年で、今のDWDの品質はここからはじまった。また、この年には、ジブで知られるクリス・ラーソンの影響を受けて作った、あのRATモデルをリリースした年でもある。また、DWDはチームではなく、スノーボードへの共通の情熱をもった一人一人の肉体(MEAT)の集まりであることに気づいたことにより、TEAMボードは、この年からmeaT(Teamを逆さにした造語)となる。この年、ジェフもボードをKEENANからKWONに変更。シーズンの終わりには、保障の支払いをつづけるより、ブレンドン・ハップをチームに迎え入れた方が経費削減になることにも気づいた。ブレンドンはこの年Think Thankの撮影にも参加し、チームに迎えたことには意味があった。
11/12
Year of the RAT
前年リリースのRATだが、本格的に勢いがついたのはこの年だ。一番人気はアニメ、ドクター・スース(Dr.Seuss)のキャット・イン・ザ・ハット(THE CAT IN THE HAT)を模したシリーズ。この年からGENOVESEモデルはフラットキャンバーになり、さらに、体重が軽めのライダーのためのBRATモデルもリリースされる。DWD TEAMビデオの発売にむけ、映像を撮影しつづけた年でもある。DWDの長年の友人、クリス・ブリュースター(Chris Brewster)がAMチームに、SIAではベン・ボガート(Ben Bogart)がプロチームに加わり、彼のプロモデルもリリースされた。
12/13
The TEAM video!
このビデオのために、長時間を費やしてきたその貢献に、マット・ヘネガ(Matt Heneghan)、ギャレト・スウェンソン(Garrett Swenson)とルーカス・ウリェット(Lucus Ouellette)がチームに加わった。このビデオのRATのセクションは、その後、毎年行われるRATエディションのきっかけとなる。DWDスノーボードに乗っているスノーボーダーから寄せられたライディングのビデオのセクションのことだ。この年の終わりに、アンドリュー・ジーヴェスがチームに帰ってきた。
13/14
DWDライダーがあらゆるメディアに取り上げられる。The RATSは相変わらず絶好調でDWDがついに爆発。ジークマンとして知られるビッグ・マイク(Zeachman aka Big Mike)はmeaTのグラフィックを担当し、meaTモデルにあらたな道筋をあたえることとなる。そして、この新シリーズは、スノーボードで生活し、食べ、息をしているスノーボーダーとクルーが、単にスノーボードをしているのではなく、彼らが“スノーボーダー”であることを祝福するモデルとなった。ビッグ・マイクは望めばプロになれるほどのスキルを持っており、ボードに乗っていようがいまいが、彼がアーティストであることに変わりはない。彼が普通とは少しちがった見方で物事を解釈することは、彼のライディングを見ればわかる。DWDの新たなマジックボードの噂が業界を駆け抜ける。
14/15
Wizard Stick発売。
フリースタイル革命に新しい息吹を吹き込んだ。とがったノーズに切り落とされたテール。その独特のシェイプとクロスブリードキャンバーで、このボードはパークから飛び出し、世界中の自然の中をふたたび駆け抜けるようになった。また、アンドリュー・ジーヴェスの助言をデザインに取り入れたSIXTIESモデルをひっさげ、DWDはレースに戻ってきた。The meaTはDOPE INDUSTRIESとコラボ。ジェフ・キーナンのKWONモデルは8年つづいたレギュラーキャンバーから、DWDの新たなアクションキャンバーに変更し、業界からさまざまな賞をもらった。
GENOVESEモデルでは#WanderingMurderOfFutureDeadsが好調。また、ブレンドン・ハップのマジックアワー・ムーブス・プロジェクト(Magic Hour Moves Video Project)では、End Searchの撮影がはじまった。
DWDのクリス・ラーソンはプロに転向、過去に登場した8つのThink Thankビデオの総括ビデオと、論争を巻き起こしたYobeatインタビューも記憶に新しい。彼の次なるプロモデルは、DWDのキャンバーにRe Popキャンバーという新たなラインを追加し、SIAでお披露目した。Think ThankのRight Turn Left Turnで目立っていた、フレドリック・ペリー(Fredrik Perry)はDWDのメインチームに迎え入れられた、最初のインターナショナルライダーとなる。
End Searchのファイナルシーズンの撮影のため、DWDチームは北アメリカのロードトリップへ向かった。使ったボードは次の秋にリリース予定のmeatxMagicHourMoves。RATSは相変わらず絶好調である。